平成二十八年一月場所 阿武松部屋打ち上げパーティー開催される
平成二十八年一月場所千秋楽打ち上げパーティーが、一月二十四日午後六時半よりメイプルイン幕張で開催された。
お馴染みとなったKAYOさんが奏でる、アルパの「ふるさと」「春の小川」「カトリアベンテ」などの音色に誘われるように、多くの方々が三々五々詰めかけ、会場は熱気に包まれていく。定刻になり大和富士の司会により開式が宣言された。
まずはじめに千葉後援会の熊倉副会長が挨拶に立ち、会場一杯にお集まり下さった皆様に感謝の意を表するとともに、皆様とともに今年も阿武松部屋を支えていく決意なので、力士諸君はそれに答えて頑張って欲しいと激励した。次に宮本泰介習志野市長が、出場十二人中七人が勝ち越したことを讃え、今場所優勝した、琴奨菊関の地元が大いに盛り上がったように、皆さんの頑張りでこの習志野の地が大いに盛り上がるという夢を懐いたと、力士の奮起を促した。
続いて来賓祝辞、衆議院議員富田茂之氏は、琴奨菊関はたび重なる怪我を克服して優勝した。今怪我で苦しんでいる力士達は、けっしてあきらめることなく頑張ってほしいと激励された。次に日本相撲連盟専務理事大野孝弘氏は、かつての専修大学時代の教え子である大道の引退にふれ、覚悟はしていたがその時が来たかという気持ちであるが、スーツ姿もなかなか似合っており、これからも応援していくので、部屋のためにしっかり働いてほしいとエールを送られた。
次に大道が少年相撲でお世話になった、東京相撲連盟副理事長の佐久間幸一氏は、体は大きいが引っ込み思案だった少年が、よく頑張って幕内を張るまでになった。引退は寂しいが、これからまた新たな一歩を踏み出すのだから、しっかり頑張ってほしいの述べられた。また少し遅れて駆けつけて下さった衆議院議員小林鷹之氏は、阿武松部屋は地域に根付く地道な活動が着実に実を結びつつある。今場所も各力士よく頑張ったと思うが、さらなる飛躍を期待したいと述べられた。最後に阿武咲の地元青森県中泊町の後援会を代表し、野上副会長が挨拶にたち、出世できるかいなか、すべては自分次第であるから、力士諸君には今年一年大いに頑張ってほしいと激励された。
ここで来賓紹介。習志野市議会議員宮本博之氏、同じく習志野市議会議員佐々木秀一氏、国際松濤館空手道連盟館長金沢伸明氏、南相馬市議会議員今村裕氏、阿武松部屋名誉顧問荒木勇氏、町田後援会代表小山修氏、中山大三郎事務所代表中山三佐子氏、東京相撲連盟板倉利和氏、青森県中泊道場監督小山内誠氏、船橋スター相撲団代表深澤英治氏、女優渡辺めぐみさん、専修大学相撲部監督蒲田重勝氏、が紹介された。
引き続きご祝儀贈呈、千葉後援会会長鈴木喜代秋氏より、親方・おかみさんはじめ、各力士・床雄にご祝儀が贈呈された。
続いて親方が挨拶に立ち、まず本日の盛況を心から感謝申し上げ、「相撲は他の格闘技と異なって「立ち合い」というものがあり、一瞬で勝負が決するので大変むつかしいが、それを克服し自分のものにしていくには、下半身をしっかり強化し研究していく以外にない。阿夢露・阿武咲は今回の崖っぷちを基点として、さらなる飛躍を期さなければならない。また幕下からは阿武咲をおびやかす存在が出てくるようしっかり指導していきたい。大道は最後まで勝ちに行く闘う相撲を取ったと思う。おとなしいので再三歯ぎしりをさせられたが、アゴを骨折してから目覚め幕内まで行った。今後は小野川親方として、部屋の後輩達のために、時に鬼になってしっかりとサポートしてほしい。」と述べ、最後に「ご参集の皆様には、六月四日に国技館において断髪式・小野川襲名式を執り行いますので、何卒よろしくお願い申し上げます。」と述べて挨拶とした。
次に大道が挨拶に立ち、「これまで応援していただき本当にありがとうございました。これからは小野川親方として、しっかり阿武松親方を補佐していく覚悟ですので、引き続きご支援の程よろしくお願い申し上げます。」と述べた。
引き続き、千葉後援会宮本博之氏の御発声で乾杯、会食に移った。会場では引退した大道(小野川親方)が精力的に感謝のご挨拶に回る姿、負け越しはしたが最後まで頑張った阿夢露関とカメラに収まるファンの方々、崖っぷちから最後の一番ではい上がった阿武咲関と、遠く青森から駆けつけて後押しして下さった後援会の皆様が華やかに歓談する姿、等々、熱気に包まれ大いに盛り上がっていた。
また恒例となったモントレックス社長清水貢氏が提供される、高級腕時計争奪ジャンケン大会が行われ、阿武咲関とのジャンケンを勝ち抜いた幸運な女性がみごと手にした。
ビンゴゲームではお馴染みとなった篠原の元気の良い司会で、次々と景品が配られた。景品の中には地元習志野の「阿武松」という芋焼酎や、青森の後援会から提供された「ねぶた」のタオルなどもあり、ゲットした人々は大いに喜んでいた。
最後に千葉後援会木村龍次氏の御発声で、三本締めをもって中締めお開きとなった。