若荒雄関断髪式並びに不知火親方襲名祝賀会
平成二十七年一月三十一日午後一時より、両国国技館において若荒雄関断髪式ならびに不知火親方襲名祝賀パーティーが挙行された。
国技館のロビーでは、来場される方々を、親方・おかみさん、そして部屋の関取衆が出迎えた。ロビーではあちこちで、貴乃花親方や大関稀勢の里関はじめ親方衆や力士達と、断髪式に出席くださったファンの方々が、写真撮影をしたり歓談する姿が見られた。
午後一時、土俵中央にしつらえられた椅子に若荒雄関が腰を下ろすと、司会のNHK吉田賢アナウンサーにより、断髪の儀開式が宣言された。会場には四五〇人の方々が詰めかけてくださり、すべての方にハサミを入れていただくとあって、司会よりあらかじめスムースな進行にご協力をと、ユーモアを交えての要請があった。
断髪はまず阿武松部屋名誉顧問の荒木勇氏がハサミを入れ、九州後援会会長近藤勲氏、名古屋後援会会長森下鉾二氏、東京後援会会長黒須弘道氏、千葉後援会会長鈴木喜代秋氏、ほか阿武松部屋後援会関係者、衆議院議員富田茂之氏・衆議院議員小林鷹之氏他来賓の方々、知人友人の方々と続き、そして先代不知火親方で元青葉城の庄司幸雄氏、プロレスラー天龍源一郎氏などが、次々とハサミを入れてくださった。
途中、女性の方々がハサミを入れるために土俵下に席が設けられ、若荒雄関はそこに移動し、貴乃花親方夫人はじめ多くの女性の方々が次々とハサミを入れ、おばあさんである八木ケ谷加代子さん、母親八木ケ谷悦子さんがハサミを入れると、若荒雄関はたまらず目頭を押さえる一幕もあった。
再び土俵中央に戻り、黒澤氏以下部屋のOB、同期の力士、部屋の関取衆、一門の関取衆、貴乃花親方をはじめとする日本相撲協会の親方衆が次々とハサミを入れ、最後に阿武松親方が止めバサミを入れ、切取られた髷を高々と掲げて断髪の儀は終了した。
続いて花束が贈呈され、大至さんが若荒雄の相撲人生を甚句にし、高らかに歌い上げた。
引き続き親方より、「このように多くの方々にハサミを入れていただき、立派な断髪式となりました。心より御礼申し上げます。若荒雄はこの恩義をけっして忘れることなく、今後もしっかりと精進してほしい。」との挨拶があり、最後に若荒雄関が挨拶に立ち、「たいした実績も才能も無い自分が、小結まで昇進できたのは、ひとえに親方の厳しい指導があったからであり、心から感謝申し上げます。またおかみさんはじめ多くの方々への感謝の気持ちを忘れることなく、これからもしっかりと精進してまいります。」と述べ、断髪式は無事終了した。
引き続き会場を地下一階の大広間に移し、若荒雄引退・不知火襲名披露パーティーが行われた。司会は引き続き吉田アナ。まず東京後援会会長黒須弘道氏よりご挨拶があり、続いて名誉顧問宮本泰介習志野市長、衆議院議員富田茂之氏、衆議院議員小林鷹之氏が祝辞を述べられた。また日本相撲協会理事貴乃花親方は、「これからは不知火親方として、阿武松部屋発展のため、日本相撲協会発展のためにしっかりと精進してほしい」とはなむけの言葉を贈った。最後に阿武松親方が「若荒雄は今までで一番手がかかった力士だが、小結までいったことは評価して良いと思う。今後はこれまでお世話になった方々への恩返しをするつもりで、しっかりと地に足を付けてがんばってほしい」と述べ挨拶とした。
ここで後援会・相撲協会・部屋関係者等が壇上に上がり、鏡開きが行われた。
続いて整髪し背広姿の不知火親方が登壇、「本日は多くの方々が私のために駆けつけてくださりありがとうございました。未熟者ではありますが、これからしっかりと勉強して、部屋のため協会のため働く所存ですので、宜しくお願いします。」と御礼と決意を述べた。
式はここから会食に移り、用意されたご馳走をいただきながら、次々に壇上で披露される余興を楽しんだ。
まず登場したのは落語家の桂文福師匠。得意の河内音頭に載せて、不知火親方の人となり、阿武松部屋のこと、相撲全般の近況など、おもしろおかしく披露した。次にミュージシャンのユウサミーさんは、唱歌「ふるさと」から始まり、持ち歌の「メッセージ」などを歌い上げた。半田浩二さんは祝賀パーティーにふさわしい北島三郎の「祭」などを高らかに歌い上げ、会場は大いに盛り上がった。
宴も終盤を迎える頃、突然不知火親方の母親八木ケ谷悦子さんが壇上に呼ばれ、サプライズで株式会社モントレックスの清水社長より高級女性用腕時計が贈呈された。
最後に名古屋後援会顧問野田賢次郎氏の中締めのご挨拶があり、パーティーは終了した。
若荒雄プロフィール
若荒雄匡也(わかこうゆうまさや)本名八木ケ谷匡也(やきがやまさや)
昭和59年2月24日生まれ、千葉県船橋市出身。
船橋の大神宮では、毎年相撲大会があり、小学生で参加していた八木ケ谷少年は、相撲に興味をもつようになり、親戚の家の近くの相撲部屋で稽古をさせてもらえないか?と、母悦子さんとともに部屋を訪ねたのが、阿武松部屋に出入りすることになったきっかけでした。
小学5年から、学校の休みの時には部屋に来て、力士と一緒に稽古をし泊まっていくようになりました。
中学になると、相撲の大会に出るようになり、3年生のときには、関東大会3位という成績を残しました。
中学卒業後の平成11年3月に入門し、その後少しずつ番付を上げていき平成20年一月場所で新十両に昇進しました。
平成21年7月名古屋場所で新入幕に昇進後、平成23年11月九州場所で12勝3敗の成績をあげ、敢闘賞を受賞し、翌場所の平成24年一月場所で西小結となりました。
その後は怪我との闘いもあり、平成26年九月場所の14日目に引退を発表し、年寄不知火を襲名いたしました。