丹蔵断髪式挙行される
第一部「断髪式」
さる平成二十六年五月三十一日午後五時より、メイプルイン幕張において丹蔵の断髪式が挙行された。
断髪式は二階広間が会場で、お馴染みとなったアルパ奏者のKayoさんが奏でる、和洋の調べが心地よく会場を包む中、大相撲協会の方々、阿武松後援会の方々、丹蔵出身の能登町を初めとする丹蔵後援会の方々、東洋大学時代の恩師や仲間等々、続々と駆けつけて下さり、用意された百三十席はたちまち一杯になり、あらたに椅子を運び込む一幕もあった。
丹蔵が金屏風の前にしつらえられた椅子に着席すると、司会の大和富士により開式が宣言され、まず司会より丹蔵のプロフィールが以下のように紹介された。
丹蔵プロフィール
丹蔵隆浩(たんぞうたかひろ)、本名寺下隆浩、30歳。第6代横綱、初代阿武松緑之助の生誕地、石川県能登町の出身です。
相撲は、ご自身が高校時代に全国制覇をされた経験をもつ、父の寺下富士夫様の指導で、8歳から始めました。小学5年で全日本優勝大会に優勝、能都中学2年で全国都道府県大会3位、金沢市立工業高校2年では、濱野監督のご指導のもと、国体優勝という成績をあげ、東洋大学に進学いたしました。東洋大学2年の時には、肩の手術をしておりましたが、3年では田淵先生のご指導の下で、全日本選手権でベスト8の成績をあげております。その後、大学卒業時に、自分が納得できる成績をおさめていないという気持ちから、出身地の能登と縁のある阿武松部屋に入門をしたのが平成19年の3月でした。
平成19年5月、序の口優勝、20年1月、三段目優勝と順調に番付をあげていた矢先の20年9月場所で、膝の前十字じん帯断裂の怪我をし、6場所の休場を余儀なくされました。休場中はコツコツとリハビリ、トレーニングに励み、21年の11月場所で復帰してからは、また順調に番付をあげていきました。
しかし、幕下にあがってから2年、怪我を理由にくすぶり続ける自分の甘えに気付き、一念発起して相撲に打ち込み、平成24年9月場所で新十両に昇進することができました。昇進時に、四股名を屋号の丹蔵とし、これからさらに上を目指していこうとしていた25年5月場所で、左肩の肩鎖関節脱臼をし、またその直後に右肩の肩関節脱臼、腱板断裂という怪我をしました。懸命の治療を行いましたが、この度引退させていただくことになりました。
引き続き断髪の儀に移り、まず阿武松部屋名誉顧問習志野市長宮本泰介氏がハサミを入れ、続いて阿武松部屋名誉顧問前習志野市長荒木勇氏、衆議院議員富田茂之氏、同夫人富田千春様、丹蔵のと後援会顧問能登町長持木一茂氏、丹蔵のと後援会相談役・興能信用金庫理事長数馬嘉雄氏、公益財団法人日本相撲連盟専務理事大野孝弘氏、学校法人東洋大学常務理事・相撲部総監督田淵順一氏、丹蔵の高校時代の監督・現東洋大学相撲部監督濱野文雄氏、九州後援会会長近藤勲氏代理川波信親氏、名古屋後援会会長森下鉾二氏代理西山研氏、町田後援会代表小山修氏、公益財団法人日本相撲協会理事・総合企画部長・貴乃花一門総帥貴乃花光司氏、公益財団法人日本相撲協会評議員・元大竜大嶽親方佐藤忠博氏、公益財団法人日本相撲協会委員・元寺尾錣山矩幸氏、金沢市立工業高校の先輩・元関脇玉乃島放駒新氏、等々約百三十名の方々がハサミを入れてくださった。そして部屋の同僚である大道関、阿夢露関、若荒雄関、鐵雄山、篠原、能登櫻と続き、丹蔵の弟である寺下祐樹氏、母寺下由美子様、父寺下富士夫氏が万感の思いを込めてハサミを入れ、最後に親方が止めバサミを入れ、髷を高々と披露して断髪の儀は終了した。
ここで花束の贈呈、おかみさん・力士代表慶天海・野川律子様等々、たくさんの花束が贈呈された。
続いて親方挨拶。親方はまず本日断髪式に参列してくださったすべての方々に、心から御礼を申し上げ、「丹蔵は怪我の連続で苦労をしたが、多くの方々に支えられて関取になることができた。今後はその御恩を忘れることなく、新たな人生でもしっかりと頑張ってほしい。」とはなむけの言葉を贈った。
最後に丹蔵が挨拶に立ち、深々と頭を下げ、駆けつけてくださった多くの方々に御礼を申し上げた。そして自らの相撲人生を振り返り、小さい頃は割と順調であったが、大学時代に大きな怪我をしてからは怪我との闘いであった、と述べたところで、いままで苦難の時に支えてくださった方々を思い出してか、感極まって声が詰まった。するとあちこちから「丹蔵がんばれ」という暖かな声があがり、それに後押しされるように、「ここまで頑張ってこれたのは親方・おかみさんはじめ、多くの方々からご尽力を賜ったからであり、本当に心から感謝を致します。私は阿武松部屋に入門して本当に良かったと思います。これからは皆様の御恩に報いるためにも、第二の人生でしっかりと精進して参ります。」と声を詰まらせながらも懸命に述べると、会場は感動の涙と、万雷の拍手に包まれた。
第二部「パーティー」
断髪式に引き続き、会場を一階の大広間に移し、断髪式パーティーが執り行われた。
まず初めに東洋大学常務理事相撲部総監督の田淵順一氏が挨拶に立ち、丹蔵のこれまでの努力精進を評価するとともに、これだけ多くの方々に見送られて第二の人生に出発できることは、本当に幸せなことであると結んだ。続いて丹蔵の高校時代の恩師で東洋大学相撲部監督の濱野文雄氏は、「高校時代は一年からレギュラーをかちとるなど有望な学生であったが、大学・大相撲の世界では怪我で苦しんだ。しかし怪我と闘いながら念願の関取の座についたことは立派で、親方・おかみさんはじめ多くの方々に感謝の気持ちを忘れてはならない。三月場所後に引退の相談を受けたが、第二の人生で頑張るとの決意がしっかりしていたので、それならよしということになった。」と引退の経緯を述べた。
最後に日本相撲協会理事の貴乃花親方は、「うちの部屋の貴ノ岩との一戦で、丹蔵関は自分が負けたにもかかわらず、その相撲で貴ノ岩が足の指を負傷したことを気遣い、支度部屋まで様子を見に来てくれた。さすが阿武松部屋の力士らしく、人格的にも勝れているなと感じた。第二の人生でもその誠実さを活かして頑張ってほしい。お集まりの皆様には、今後とも丹蔵関・阿武松部屋、そして日本相撲協会に絶大なるご支援をお願いしたい。」の述べ挨拶とした。
引き続き、石川県能登町長持木一茂氏の御発声で乾杯、会食・余興に入った。ビールで咽を潤し、用意されたご馳走に舌鼓を打つ中、司会の紹介で大阪から馳せ参じていただいた落語家の桂文福師匠が登場、十八番河内音頭の名調子に載せて、即興で丹蔵の幼少から引退に至るまでの相撲人生を歌い上げた。最後には丹蔵のみならず、阿武松部屋の期待力士や、貴乃花一門、相撲協会にまで名調子は広がって、場内は拍手喝采、大いに盛り上がった。
ここで整髪を済ませた元丹蔵関、寺下隆浩氏が大きな拍手の中再登場、改めて挨拶に立った。寺下氏は断髪式とは打って変わって満面の笑顔で、「これからはスポーツ選手のサポートの仕事に専念していきたいと思っているので、宜しくご支援・ご鞭撻のほどお願いします。」と述べた。
挨拶を済ませた寺下氏は、おかみさんとともに各テーブルを回り、直接皆様に御礼を申し上げ、また皆様から激励の言葉を頂戴した。
ここで突然「カンカン」と木の音が入り、親方の押尾川部屋時代の弟弟子、元大至の大至伸行氏が登場。相撲甚句に載せて丹蔵一代記を、美しくも張りのある声で歌い上げた。
♪「素直とヤー優しさ強さに変えて/歩んだ道程悔いなき土俵/ハァーエー/能登の怪童丹蔵のせがれヨー/アー大漁旗に胸躍る/海の男に波しぶき/祖父の屋号に夢託し/付けた四股名は『丹蔵』と/幼き隆浩少年に/勝負根性叩く父/来る日も相撲に明け暮れて/やがて勝利にこみ上げる/何かをこの手に掴み取り/学生時代に名を馳せて/阿武松の門叩く/怒濤の出世に沸く郷土/しかし試練の落とし穴/また一からの出直しも/腐らず笑顔で耐え抜いて/関取目前その矢先/師匠に映るは別の顔/本気が足らぬと愛の鞭/心に響いたその言葉/一意専心覚悟決め/夢にまで見た大銀杏/右四つ速攻寄り武器に/関取八場所努めるも/怪我した姿は見せられぬと/ファンに惜しまれ土俵去る/薫る五月(さつき)の風に似た/『らしさ』を貫く受け答え/厳しき師匠と女将さん/部屋の仲間やお客様/本当にお世話になりました/立派な治療家目指します/地元能登から最強の/未来の横綱ヨーホホイ/アー育てますヨー/アードスコイドスコイ」♪
最後の木の音が入ると、会場からは感動の声と共に、大きな拍手がいつまでも続いた。
感動のさめやらぬ中、司会より本日会場に来ることが出来なかった、九州後援会会長近藤勲氏、九州添田後援会代表手島忠氏、大阪後援会名誉顧問植田孝氏、大阪後援会山田悦子氏、名古屋後援会会長森下鉾二氏、名古屋後援会顧問野田賢次郎氏、東京後援会会長黒須弘道氏、千葉後援会会長鈴木喜代秋氏、株式会社博品館伊藤巌氏等々、多くの方々からのご祝儀が披露された。
またサプライズでキッズ阿武松の吉岡幸樹君・桂祐君から花束贈呈、「丹蔵関ありがとうございました」と大きな声で花束を手渡すと、寺下氏は二人の頭をなで、会場は大きな拍手に包まれた。
ここでおかみさんから一通のメッセージが次のように紹介された。
このメッセージは、小学生の時にキッズ阿武松に参加していた、有馬瑞希(ありまみずき)君からのものです。彼は小学五年の時に、今日こちらにお越し頂いている、女子プロゴルファーで、日本骨髄バンク評議員の中溝裕子さんと同じ、白血病の前段階といわれる『骨髄異形成症候群』という病気になり、妹さんからの骨髄移植を受けて病気と闘っている少年です。有馬君の入院中には、中溝さんが病院にかけつけ、励ましてくださいました。そんな有馬君からのメッセージです。
「皆さんお元気ですか?僕は四月から中学二年になり、妹とともに元気に楽しい中学生生活を楽しんでいます。五月場所が終わり、今日はいよいよ丹蔵関の断髪式ですね。是非お会いしてお礼を言いたかったんですけど‥‥‥。丹蔵関の引退インタビュー、今でも僕の目にやきついています。幸せな相撲生活、僕もそう感じれるよう、そう言えるよう頑張らなくちゃ。辛い時に頑張ること、丹蔵関から教えてもらいました。これからの丹蔵関の新しい活躍楽しみにしています。丹蔵関に、お疲れ様でした、そして!ありがとうございました、と伝えてください。素晴らしい断髪式になりますように。」
有馬君、メッセージありがとうございました。
おかみさんがこみ上げてくる涙を必死にこらえながら読み終えると、会場からは大きな拍手がわき起こった。
楽しくまた感動に満ちたパーティーもいよいよお開き、阿武松部屋名誉顧問の荒木勇氏が締めの挨拶に立ち、大勢の方々が最後の最後まで、寺下君を激励していただき、立派な断髪式となったと、御礼を申し上げた。
三本締めの音頭は千葉後援会役員の池田博氏。誠実な人柄で地域にも大きな貢献をしてくれたが、その誠実さを大いに発揮して、第二の人生を頑張ってほしい、とはなむけの言葉を贈り、三本締めをもってパーティーは終了した。